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課題の書き換えとイノベーション

水槽の例から

前ページの水槽の例をもう一度考えてみましょう。

最初の課題設定であれば、「水=生活に必須=多いほうが良い」という考えでした。つまり、「水は使い捨ての資源」という価値観がベースになっているのです。その中では「大きな水槽を作ろう」「川から水をもって来よう」という資源獲得の解決策しか生まれません。

しかし、技術が進めば、節水やリサイクルということが可能になります。すると、水が使い捨てではなく「再生可能な資源である」という価値観が生まれます(再生可能という概念が先で、技術開発が後というのが実情かもしれませんが)。その結果、さらに「水を賢く使う」という価値観が生まれ、資源再生という解決策が出てきます。当然、大きな水槽を作ったり、川からパイプを引く工事よりも、再生技術や節水技術の開発が命題になるわけです。

さらに時代が進むと、水がいらない生活も考えられます。もちろん生きるためには恵みの水は必須ですが、水を必要としない場面も出てくるということです。

例えば、防災用や介護用に水のいらないシャンプーが出ていますが、これが改良されより便利に、より広く応用されるとしたらどうでしょうか。また洗濯なども水なしでできる技術が開発されつつあります。水田はその名の通り、水が必要ですが、将来的には畑で作れる米も流通するかもしれません。いや、ビーカーの中で米ができないとも限りません。

まだまだ実生活での実用は遠いのかもしれませんが、そんな時代がこれから来るかもしれませんよね。その時、私たちは、水を使う技術、価値観から、水を使わない技術、価値観へとシフトすることもありうる話です。

こうやってみていくと、
課題の書き換えはイノベーションのプロセスとも言えるでしょう。まさに、課題の分析、因数分解、そして課題設定の書き換えがクリエイティブなアイデアにつながるのです。

クリティカルシンキングとイノベーション

上述の水の例ですが、水が豊富にある場合、「水=使い捨ての資源」という古典的な価値観でも生活には困りません。そばに川が流れていて、雨も定期的に降るような場所に住んでいたら、水を引っ張ってくればいいわけですよね。わざわざ水をリサイクルする必要性も感じなければ、まして水を使わない生活にシフトしようなんて誰が思うでしょうか。

その状況に慣れてしまい、それが当たり前になってしまえば、パイプと水槽以外の解決策は思いつきません。たとえ水が不足しても、どうやったら川から水を持ってこられるのか、ということを必死に考えてしまうわけです。水槽の穴から水がダダ漏れしているのに、がむしゃらに水を補給して、水槽を埋めようとしている姿は滑稽なものでしょう。

私たちの周りにも、こういう例がたくさんあるのだと思います。私たちが当たり前だと思っているがために、課題の本質が見えていないことが。そして、その時、おそらく私たちも外から冷静に見れば滑稽なのでしょうが、自分たちはその滑稽さに気づきもしないのです。

そこで重要なのが
クリティカルシンキングです。

批判的思考というように訳されますが、一般的には、「常に、『これって正しいのか』と疑いを持ち、自分で考える力」と言われます。この言い方では不十分です。私の定義は
「本質を問う探求型思考力とマインド」です。

「2つとも同じじゃん」と言わないでくださいね。結果論同じだとしても、次元としては別ものです。前者は、そもそもクリティカルシンキングのゴールを考えられていない定義です。「疑う」、「自分で考える」は手段です。誤解を恐れずに言えば、意義のない小手先のクリティカルシンキングです。

いったい、その先に何をしたいのか。
本質を見抜き、真理を探究したいのです。

「疑ってかかれ」というのと、「本質を問え」と言うのとでは、思考マインドがその時点で違います。結果、迫る深さ、生み出すものも異なります。疑ってかかるだけでは、イノベーションまでたどり着きません。

「この課題は正しいのか」と疑うことも大切ですが、「そもそもこの課題解決で何を達成したいのだろう」とゴールを問うから、課題の本質が見えてくるのです。後に出す、課題書き換えの例題でも、ゴールの本質を問い詰めてください。圧倒的に課題の書き換えがやりやすくなるはずです。

クリティカルシンキングではWHYを問うことを大切にしていますが、そういう意味では、WHYを積み重ねて、ゴールに迫るということはキーですよね。前ページにも書きましたが、「なぜ水を補給しているのだろうか→水を保つため」「なぜ水を保つのか→快適に生活するため」というように進んでいくわけです。

有名な話ですが、トヨタでは5WHYを繰り返して、本質を見抜くということを新人トレーニングの段階からやっています。それが全てではありませんが、1つの方法論としては理にかなっていると思います。


「当たり前」の本質を探求する

最後にもう一度水の例に戻ります。

「失って初めて、その大切さに気付く」とよく言われますが、本当に水が不足してきたら、レベルの違いはあれども、誰でも課題の書き換えを始めます。「大きな水槽を作ろう」「パイプで水を引いてこよう」と言ったって「そもそももう川に水がないよ」と矛盾が生じて、強制的に違う解決策を模索しなくてはなりません。要は、差し迫れば、否応なしに課題の書き換えが起きるのです。

しかし、それは最初に立てた課題設定が自ら崩壊してくれているだけであり、とりあえずの解決が成されれば、そこでストップしてしまいます。場合によっては、元の状況にもどることもあり得る話です。

私たちが養いたいのは、
自発的にそして能動的に課題を書き換えていくマインドと思考力です。当たり前が当たり前でなくなってから走り出すのではなく、当たり前である段階から、本質を探究しようというマインドが、イノベーションにつながっていくのだと思います。

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