前頁で古代ギリシャ、ローマにおけるリベラルアーツの発祥を見ましたが、「あれ?」と思った人もいるかもしれません。
「リベラルアーツ=アメリカの教育じゃないの?」
そう思いますよね。リベラルアーツカレッジなるものも含めて、今やリベラルアーツはアメリカ発祥の言葉であるように錯覚してしまいます。
しかも、イギリス系の大学では入学時に専攻を固め、教養科目なしでひたすら専門を研究していきます。そう考えると、やはり私たちが口にする「リベラルアーツ」は、アメリカ輸入と考えたほうが違和感がありません。
勘違いか?・・・いや、やはりアメリカに現代リベラルアーツを紐解くカギがありました。ということで、アメリカのリベラルアーツのルーツを歴史的背景とともに探ってみましょう。
時は遡って1620年、エリザベス女王が設立したイギリス国教会からの弾圧を逃れて、ピューリタンの分離派(国教会から分離したい人たち)がアメリカ・マサチューセッツ州プリマスという場所にたどり着きます。メイフラワー号に乗ったピルグリムという呼ばれる人たちです。
しかし、彼らはほとんど教育を受けたことがなく、入植後も教育的・文化的な活動は見られませんでした。実際に、ニューイングランド入植地の11の町うち、7つの町で神父が不在だったりという問題もありました。
「神父なんて清教徒の集まりなんだから誰かがなればいいじゃん」と思うかもしれませんが、神学は自由7科をベースに哲学を学んだものの最終学問であり、当時のヨーロッパの大学も神学ための教育機関です。
つまり、神父は高等教育を受けたものだけに許される地位です。なので、教育が機能しないのであれば、神父不在は致し方ない結果なのです。
そんな中、プリマスの北部に位置するマサチューセッツベイ(現在のボストンを中心とした地域)への入植が大規模に始まりました。その入植者たちはイギリス本国から本や習慣を持ちいれ、他の植民地と比較して教育・文化水準が高い場所でした。
その結果、1635年にはschoolmaster(教員)という職が現れ、1639年には印刷機が置かれ、その後、ボストングラマースクールといわれる名門校をはじめ、多くの学校が設立されました。
1636年はその象徴とも言える年でした。アメリカ最初の大学が設立されたのです。そう、ハーバードカレッジです。
ハーバードカレッジは、本や財産を大学に寄付したReverend John Harvardの名前を取ってつけられました。大学と言っても、最初は富裕層の私塾のようなものだったと言われています。(絵:1つ目が当時のハーバードヤード、2つ目がハーバードホール)
それにしても、入植からわずか16年、アメリカの建国より140年も前に大学を作ってしまうなんて、このスピリッツは本当にすごいとしか言いようがありません。
このハーバードカレッジも最初は牧師の育成が目的でした。上述のとおり、神父がいないのが常態化していたこともありましたし、そもそもの大学の存在意義は神学の研究だったからです。
1640年、ケンブリッジ大学の卒業生でヘンリー・ダンスター(Henry Dunster)という人物がハーバードカレッジの学長に就任します。彼は2年制のリベラルアーツコースというものを始めます(カレッジ自体は3年制)。もともとは、神父養成のコースだったのですが、ダンスターは法学や、哲学、物理学、数学といった本も持ち寄り、幅広い学問への関心も高めます。
さらにダンスターは後に、学部を4年制に変えたり、カリキュラム策定をするなど、ハーバード大学の原点を作っていきました。
ちなみに、ハーバードがCollegeからUniversityへと名前を変えたのは1780年です。リベラルアーツカレッジという意味合いで、ずっとカレッジという言葉が使われ、いまでもそのニュアンスで学部生たちは、Students
of Harvard Collegeと自分たちを呼んだりします。
しかし、本国を離れ、新大陸を開拓していく入植者たちにとって、神学といった精神世界よりもひっ迫した課題がありました。これからの村、町、国をどのように作っていくのか、そして、それを牽引するリーダーをどのように育成するのか、という新大陸ならではの課題です。
このような背景もあり、アメリカの教育が徐々に「リーダー育成」という観点に切り替わっていったのです。
そして、この時、Dunsterのリベラルアーツコースが「リーダー育成」という新しい命題と遭遇することになります。結果、リベラルアーツという名の下で「リーダー育成」を課題とした教育が進められることになったのです。
その後、ニューイングランド以外の植民地もこの教育をモデル、ライバルとして追随します。そして、1693年にウィリアム・アンド・メアリー大学(バージニア)、1701年にイェール大学(コネチカット)と続いていきます。
さて、ここで重要になるのがアメリカにおけるリーダー像です。
リーダーですから、政治、経済はもちろんのこと、多種多様な分野に見識があり、バランスのある教養を持ってなくてはいけません。教養と言っても、ただ単に知識があるだけではなく、その中で人と議論をし、多角的な視野で諸課題に取り組み、クリエイティブに発想する力が求められます。一方で、当然人間性に優れ、人を引き付ける力も必要になります。
一言でいうと「教養と人間性に優れたリーダー」と言えます。そして、そのような人材を輩出することが高等教育のミッションになったのです。
こうやって、近代アメリカのリベラルアーツ教育は、フロンティアスピリッツの中で「広い教養と優れた人格を持つ人材の育成」というテーマで書き換えられ、その素養を身に付けるための教育として始まったのです。
ニューイングランドの裕福な家庭は次々とこのハーバードに子息を送りました。そして、イギリス本国からも、ケンブリッジやオックスフォードよりも学業に集中できる環境であるという理由から多くの子息が送られてきます。
500年ほど前のことなので、まだ原形という感じですが、このフロンティア式リベラルアーツは現代リベラルアーツの直径祖先と言い方ができるでしょう。
また、古代ギリシャのリベラルアーツもアメリカのリベラルアーツも学問体系や目指す教育ミッションはどうであれ、リベラルアーツが「全ての学問につながる入口」「専門を極める前段階としての教養スタンダード」という位置付けにされているということは同じです。
それにしても、当時のリーダー像は、なんだか現在求められているリーダー像そのままと言えばそのままです。環境や時代は異なっても、新しい時代を切り拓かないといけないフロンティアスピリッツという意味では、当時の入植者たちも現在のグローバル人材も同じなのでしょう。