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MAXコラム01 再び教師を夢ある職業に

いつから教師は・・・

教師は本当に素晴らしい職業です。

これからの未来を担う生徒を育てていく責任感と充実感に溢れています。教員は一番夢と可能性を語れる職業ではないかと思っています。私にとっては天職です。

しかし、今の教師は忙しい。そして疲れている。

「ブラック」と言われる日本の教師。

朝も早いし、帰りも遅い。労働基準法通りの「休憩時間」なんてあるわけもなく、授業の合間の休み時間は、職員室に戻って、次の授業の準備を確認したらそこで終わり。教室に入ってから「トイレに行き忘れた」と気付くことも日常茶飯事。

昼休みだって、そもそも45分程度で、法律上の1時間の休憩時間など保障されていない。その中で生徒を呼び出したり、委員会やミーティングが入ったりして、ドタバタすることもしょっちゅうである。

休日も返上して、部活動の指導や授業準備にも当たる。

教育の環境やニーズも変化し、多様な生徒のアプローチも求められれば、保護者対応も難しくなってきた。

片やグローバル、アクティブラーニング、ICTに象徴されるような教育改革も叫ばれ、次々に新しい取り組みが増えていき、年次ごとに「重点課題」が上乗せされていく。生徒募集のため、塾周りや休日の広報活動に勤しむことも多い・・・。

昔はこんな姿を「熱血教師」と言っていたのかもしれませんが、今は、熱血だろうが熱血でなかろうが、多かれ少なかれ、全ての教師はこのような境遇に立たされています。

教育現場は確実にひっ迫してきており、ストレスの量も多く、自分の時間や休みを犠牲せずには、成り立たない職業でもあります。でも、家に帰って、鏡を見ると「つ・か・れ・て・る・よ」と自分の顔に書いてある。

そんな姿を見て、果たして「教員になりたい」と憧れる若者や子供たちがどのぐらいいるでしょうか。「教師だけにはなりたくない」「教員だけは無理」、企業で働く友人から、そして生徒から幾度となくこの言葉を聞きました。

いつからこの夢ある職業は「なりたくない職業」に名を連ねてしまったのでしょうか。

これは本当に危機的です。

教育は人を育てる原動力であり、未来の国を支える力です。そして教育は人によって支えられています。しかし、その職業も今や「ブラック」に分類され、その成り手がどんどん減っているように思えてなりません。

教師が目の前の生徒のために頑張るのは当たり前。でも、ライフワークバランスを崩してしまうほどの熱意や責任感は、結局のところ、未来の教員志望者の芽を摘み取り、畑を焼き払っているのかもしれません。

私たちのがむしゃらな表情は、知らぬ間に鬼の形相になっていて、その向こうで未来の教育が音を立てて崩れていく、そのような気にすらなってしまいます。

教師のなり手が減っていく、、、、そんな日本の教育に未来はあるのだろうか。

そして、もう1つ、私が危機的に感じていること。

教師に余裕がない。グチも増えてきました。「大変」「忙しい」「疲れた」、そして「やめたい」。

とにかく、今、教師は疲弊しています。いろいろ抱えていて、生徒と向き合う時間が十分にない。いつも何かに追われているような、そんな気持ちになっているんです。

しかし、教育は人の心に触れる職業であり、未来の担う子供たちを育てる職業です。私たち教員に余裕がなかったら、良い教育ができるわけありません。いろいろな取り組みが増えていくのはいいけれど、一番大事な「心」というソフトがちゃんと機能していないように思います。

教員がもっと豊かな心と余裕を持って、教育に向き合っていく環境作りが必要ではないでしょうか。

初任研で伝える思い

東京私学の初任者研修(新人教師の宿泊研修)で、私が参加者の皆さんに伝えるメッセージがあります。

「ちゃんと休んでください」

もちろん健康を大切にしてほしいという意味もありますが、自分たちのためだけではないのです。公私ともにちゃんと充実した教師モデルを実践して、教師を目指す後輩たちにその背中を見せてほしい、ということです。

仕事を頑張り、生徒たちと一緒に夢を語り、きらきらと輝いている姿はもちろんのこと、趣味の時間や家庭の時間も持て、外部との交流も盛んで、安心して子供も産み、男女共同参画で育てられる。

そんな教師像がもし見せられたら、教師はまた素晴らしい職業として認知してもらえるのではないでしょうか。夢のある職業だからこそ、夢を持って目指せるようになってほしい、そう強く願っています。

確かに現状の仕事は忙しい。そして現場の教師はよく頑張っている。それはしっかり認めなくてはいけない。しかし、「生徒のため」という言葉で聖域化し、責任感と情熱だけを支えに過重労働を常態化させてはいけません。

「教師は24時間教師」的な考え方も志としては素晴らしいですが、勤務実態に求めることはあってはなりません。

「私たちのころは・・・」と武勇伝のように語る人もいるでしょう。その頑張りはみんなで共有し、継承していかなければいけませんが、下の世代に押し付けるべきものではなく、それを経験してきた人たちだからこそ、変えていってほしいのです。

家族ができて

そういう私も過重労働の見本とも言える人間でした。

特にグローバル教育部長という職責を担っていたときは、殺人的な仕事量をこなしていました。自分で言うのもなんですが、20代で部長職を担ったぐらいですので、少なくても私本人は「世界で一番忙しい」ぐらいに思ってやっていました。

あの時の姿を見ていた人からすると、私の口から「ちゃんと休んでほしい」なんて言葉が出てくるなんて想像つかないかもしれません。

夜も遅くまで残り、帰ってからも深夜まで仕事。最初のころは片道1時間半かけての通勤だったので、「寝るためだけに帰ってるんでしょ」と周りからも言われていました。そんな中で、1年を通して目覚ましの設定はいつも朝の3時台でした(休みの日もです)。

日曜日はもちろん、長期休暇でも仕事漬けで、夏休みですら朝まで仕事をするなんてことはざらにありました。自他ともに認める仕事中毒人間で、実際にMAX不眠説も出たぐらいです。

しかし、「大変」「忙しい」と言いながらも、それがやりがいだったし、かっこいいと思っていた節もあります。体力的にはきついこともあったけど、情熱で溢れていました。それはそれで素晴らしいことだったと思いますし、今でも自分の誇りです。

そんな私も結婚し、娘が生まれて、一人だけの生活ではなくなりました。

昔の方が自由な時間はあったし、仕事が生活の中心であって、そこに様々な生活が乗っかってきていただけでした。今は不自由な時間は圧倒的に増えたけど、同時に、家族としての大切な生活が生まれ、可愛い娘と触れ合う大切な時間が生まれました。

そして、共働きの我が家にあって、「今日は娘の迎えに行けるのか」「今夜は自分が夕食を作れるか」ということが私にとっても12を争う重要な課題になってきたのです。

今は、仕事も家族も自分の時間も、、、それぞれが生活の核です。

家族を持つという生活がこんなに楽しいものだとは思いませんでした。この時間をもっともっと充実させたい、それが私の思いでもあり、責任です。

そうは言っても、まだまだ仕事も忙しく、バランスの悪い部分はありますが、仕事もガンガン頑張りつつ、娘のお迎えにも行き、一緒に遊んで、家事もして、休みの日には家族で外に出て、寝る時間もしっかり確保して、そして、このホームページも学外の仕事も頑張る。

欲張りだけど、それぞれの核を最大限充実させて、「生き生きとした教師」の姿を模索していきたいと思っています。


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