2013年は、政府の「日本再興戦略〜JapanIs Back〜」に端を発して、財政界、教育界の両方においてもグローバル化が加速した1年でした。
私自身、グローバル教育部長という職を務める中で、次々と訪れる大きな変化の波を感じました。なんて言うのでしょう、なんかミシミシと地面から音が聞こえ、ざわざわ森の動物たちがあわただしくなり、これから地殻変動が起きるというような予兆を感じていました。
スーパーグローバルハイスクール、大学入試改革、トビタテ留学JAPAN!・・・これらはあくまでもその氷山の一角です。振り返れば、2013年は「グローバル教育ゼロ年度」、そう呼ばれるようになるのではないかと思っているぐらいです。
ここ数年、グローバル教育という言葉が教育界でもキーワードとなってきており、「そろそろうちもグローバル教育を」なんて学校が増えていると思います。
でも、そもそも「グローバル時代ってどんな時代ですか」「グローバル人材ってどんな人材ですか」「グローバル教育ってどんな教育ですか」・・・これらの問いに答えられますか。
私もグローバル教育の講演では必ずこれを聞いてみるんですね。「グローバル人材ってどんな人材ですか」って。うーん、ってみなさんなっちゃいます。おそらく、学校の管理職の方なども、これをちゃんと答えられる方がほとんどいないのではないでしょうか。
「それは、これから海外ともやり取りできる人材よ」と答えるでしょうが、でも「じゃあ、具体的にどんな力を持った人材ですか」、と突っ込んでみれば、それはまた答えに窮するのです。ちなみにこのディスカッションをするときに、「しょっちゅう海外に出張行って・・・」といった答えがよく出るのですが、「海外行かないとグローバルじゃないのかなあ」と私は思います。
ある方がワークショップで「グローバルというお化け」という言葉を使っていました。うまい表現だな、と思いましたね。「グローバル教育」ってよく言われるけど、それがどういうものなのかよく分からず、でも「グローバルやらなきゃ」という焦りだけあって、何か正体の分からない「グローバルというお化け」に急き立てられている、ということです。なるほど、その通りですよね。
グローバル教育のそもそもの課題はそこにあります。「グローバル時代」「グローバル人材」についてしっかり定義、議論していないので、「グローバル教育」が言葉だけ出てきて、しっかりとした軸と方向性を持っていないのです。なので、同じグローバル教育と名乗っていても学校によって中身はバラバラです。
業者が持ってくる「グローバル教育プログラム」もバラバラです。「これの何がグローバル?」と、頭をポリポリ掻いてしまうことも少なくありません。「グローバルって銘打てばいいわけじゃないんだよ!」と言いたくなるのです。
この状況は、まさにグローバルのお化けが仕掛けた罠ですね。グローバル教育迷走期というところでしょうか。
本来なら「こういう時代だから、こういう人材が求められ、それを育てるためにこういう教育が必要なんだ」というデザインをしていかなくてはなりません。多くの学校が、まだこの根本的な議論を放置したまま「いわゆるグローバル教育」、悪く言えば「なんちゃってグローバル教育」を謳っているように思えます。
まあ、まだ新しいコンセプトなので仕方ないのですが、これからグローバル教育がより一般的になる中で、その議論ができている学校、そうではない学校の差は少なからず表出することでしょう。
さらに言えば、「グローバル教育と言えば、日本人のアイデンティティ、課題解決、リーダーシップ」などなど、色々なキーワードが語られますが、そこに必然性はありません。ほとんどの場合ロジカルな理由が示されず、飛躍している感じを受けます。グローバル教育という言葉だけは流行なのでよく使うけど、時代背景、人物像を含めて、明確なビジョンは放置されたままというのが現状でしょう。