「グローバル人材」というと、「経済競争」「勝ち抜く」というキーワードにつながることがよくあります。実際にJAPAN is BACKでもそのような言葉が頻繁に出てきます。
教育の中では、それが抵抗感を引き起こすことがあります。教育の本質がグローバルの波に侵されていると感じるのでしょう。確かに、社会に求められている人材を育てるのも学校の責務ですが、そもそも豊かな心と教養を育てるという人間教育の本質が軽視されているのではないか、ということです。
私は中高の教員なので、「経済競争に勝つ」だけじゃない、「豊かなグローバルマインド」を持った人材育成が重要だと感じています。「グローバルに活躍する人材」に留まらず、「グローバルに社会貢献できる人材」にまで私たちのビジョンを広げ、それを生徒に語り、意識させていきたいですね。
1つ強調するとしたら「自分と世界のつながりを構築する」というところです。これができれば、自らの課題はみんなの課題であり、みんなの課題は自らの課題というつながりができ、その結果、「どのように貢献できるのか」という視点に立つことができるのではないでしょうか。
では、そもそもどのように「自分と世界のつながりを構築するのか」。それにはやはり客観的に世界と自分を見る目、素養が必要です。でも、自分がわからないと世界が見えませんよね。その第一歩として、自分を知り、確立することが必要になるのでしょう。
さて、話が少しそれますが、グローバル教育を語ると「グローバルだからこそ日本人としてのアイデンティティを持ち、日本を知る」というフレーズが必ず出てきます。
でも、それはなぜなのか、説明できますか。なんとなく言われているだけで、ほとんどの場合突き詰めれば漠然とした理由しか出てきません。すべてが言葉で説明できるわけではありませんが、でも、上記のような視点を持てば、「グローバルに貢献する」ということと「アイデンティティ」は1つのラインで考えられます。
このように、グローバル教育に対してしっかりとしたビジョンを持って、時代、人材像、そしてあるべき教育のかたちを探求していくことが、グローバル教育のスタートであり、一番大切な要素です。