ロールコール投票と無記名投票の際には、賛成票、反対票をカウントしますが、DRの可決否決についてはAbstentionを除いた有効票数を母数として判断します。
例えば、50か国が参加する会議の中で、Abstentionが8か国から出されたとします。その場合50ではなく、その8か国を除いた42が母数となり、半数は21、よって過半数は22以上となります。
ですから、棄権をするということは過半数のラインを下げ、賛成派を助けることになります。
投票を前にして、それぞれが自分のDRを通すために「賛成票を入れてほしい」と他国に訴えにいくのですが、場合によっては「賛成できなくても棄権してほしい」という交渉を持ちかけてくる国もあります。
お互いが「棄権し合おう」という約束を取り付ける国もあるでしょう。確かに、棄権が増えれば可決が近づきます。戦術としては有効なものです。
しかし、本当にこれでよいのでしょうか。
まず、棄権は深い政治的事情がある場合に限られていて安易に使うものではありません。賛成したいけど公に賛成できない理由があるというなら棄権は妥当かもしれません。
核軍縮の会議で、被爆国でありながら、「アメリカの核の傘」に入って安全保障を担保している日本がこれまで棄権をしてきたのはその一例です(その日本も2016年10月の総会で「反対票」を投じて、大きなニュースになりました)。
しかし、棄権票は「どちらでもない」という中途半端な判断で選ぶものでもなければ、自己のDRを可決させたいからと言って「棄権しあおう」と取り引きして入れてあげるものでありません。
本当に自国にとって、そして世界平和にとってどういう票を入れるべきなのか、大使の責任のもとしっかり判断をして、賛成できるものには賛成票を、そうではないものには反対票をしっかり投じて、棄権はあくまでも「どうしても取らざるを得ない最終選択肢」として考えていきましょう。
田氏の「国連を読む」を読み、私なりに咀嚼した投票のポイント、意味を以下に記します。
国連としては、国際社会の一致したメッセージと言うことで、満場一致を目指し、コンセンサス投票が取れれば理想ですが、全加盟国が賛成できるものとなると決議の抽象度が高く、実効性、具体性が乏しいものになってしまいます。
実効性、具体性に富んだものにすると利害がより明確にぶつかるため、反対する国も多々出てきます。その場合、 ロールコール投票が行われるわけですが、この方法では、当然自国の投票が公になります。
採択の是非はともかく、国際社会に自国の態度を示すという意味合いもあります。「この決議は仮に採択されたとしても、私たちは従う気がありません」と反対姿勢を表明する場にもなるのです。
ロールコールで決議案が採択されたとしても、それは過半数の支持を得ただけで、同様に反対票も多く投じられているので、「国際社会一致のメッセージではない」ということになってしまいます。実際に、足並みそろって決議を実行していくのはこれまた課題がでてきます。
最後に、国連総会での1票の意味を考えてみましょう。
総会には193の国が集まっていますが、それぞれが等しく1票を持っています。国の大きさ、経済力、人口、国連への貢献度、それらに関係なく1国1票です。どんなに大きくてもアメリカは1票だし、逆にアフリカは結託すれば54票もあるのです。
確かに、国連総会の決議は法的拘束力がありません。しかし、国連の決議である以上、むげにはできないものです。その投票に際して大事な1票を各国が持っている。そういう思いで模擬国連でも責任を持った一票を投じてください。