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関家の掟

関家の父と掟

関家には掟があります。

「親の経済援助は大学4年間まで。それ以降は学費、生活費を一切払わない」という掟です。

何だ、掟って言うから、もっとすごいものかと思ったら、当たり前のことじゃん!!そう、ごくごく当たり前。卒業してすぐ就職する人にはこんなもの当然すぎて、笑えますよね。

うちの父親は大阪の大学の出身ですが、バイトで授業料を賄い、ラグビーと勉学に励み、大学を卒業した苦学生でした。大学の入学式ですら、バイトで学費を稼ぐために欠席して、後で大学に呼び出されたという話を聞きました。

そんな父ですから、「大学4年間で親から援助は終わり」というのは当然どころか、恵まれていることなんです。父親は子供の私たちに、耳にタコができるぐらい何回も言ってきました。本当に何回も。

父の名誉のためにも誤解ないように言っておきますが、お金には厳しかったですが、とても責任感の強い人なので、大学4年まではしっかりと支えてくれます。「学業がおろそかにならないように」ということで、バイトなしでもやりくりできるように、大学生には十分すぎるほどのお小遣いを支給してくれていました(ちなみに、月25千円)。

最初の1年は英語の授業に集中したかったので、その言葉に甘えて、バイトは一切しませんでした。大学2年からバイトを始めましたが、変わらずお小遣いをくれ、バイト代は全て自分の留学のために貯めさせてくれました。

私も、無駄なお金を使わないように、下宿せずに片道1時間40分かけて毎日通学しました。大学生になっても母の作ったお弁当を持っていき、学食の食事を食べる友人の隣でそのお弁当箱を広げたものです。

ICU
時代に留学を考えなかったのは、この掟があったからでもあります。授業料以外の余計なお金は出ませんから。

掟の執行と借金

その親の庇護も4年間で期限切れです。それ以降は、援助が切れ、1円たりともありません。それは、留年しようが、大学院に行こうがです。ですから、私の留学の費用は全て自分持ちになるのです。当然、自分の財力でそんなことはできません。

では、どうするか、、、親に頭を下げて借金をさせてもらいました(しかも利子なし)。親は借金を快諾してくれました。その代り「1円足らず返せよ」としつこいぐらい言われ続けました。

なんだ、「厳しい掟」とか言いながら、結局金出してもらっているじゃん、と笑われる方、、、そうなんです。親のスネとは言わずとも、足首ぐらいかじって甘えていました。

しかし、後で返済するとは言え、親の金です。無駄遣いはできませんし、未来の自分に多大なツケを回すわけにはいきません。予算はできれば年間250300万。授業料、生活費込みです。

自分の行きたいと思える大学で、なおかつ予算的に身の丈に合う大学となるとなかなかありません。アメリカの大学は授業料も高いし、当時は1ドル125130円ぐらいのレートで、今より割高でした。

まず私立はほぼダメでした。州立しか候補がない、しかし名の知れた大きな州立は授業料も高く、予算オーバーです。多くの大学が予算的な条件で候補から消えていきました。

「もっと予算があれば・・・」と思うこともありましたが、でも、高いところに行きたいなら、一度社会人になってお金ためてから行けばいいわけです。その自分に与えられた条件の中で満足いく留学先を見つけ、合格するか、、、借金までさせてもらって、自分がわがままを突き通して大学院に行くので、感謝こそあれ、不満はありません。

結局、最終的には全部で750万ほどかかりました。自分の小学校時代から貯金とバイト代を合わせて100万ほどあったのでそれを足しにし、さらに親からの借金が660万だったと記憶しています。

親は言葉通り1円たりとも負けてくれませんでした。

親がつけていた貸付簿にはなんと「郵便代210円」とか、そういうのもしっかり入っていました。私宛の郵便は、きっちりと貸付に記録されていたんです。それ見たときは、しっかりしてるなー、と感心して笑ってしまいました。

ちゃんと全部返しましたよ。雀の涙ほどですが利子をつけて。社会人になってボーナス時に分割で返していきました。

掟に感謝

今になると、この掟があってよかったなー、と感謝しています。

周りには、親に全面援助を受けている友人もいました。その中で、私は、金を貸してもらったとは言え、「俺は自分の金で自分の留学を作った」という自立心と自尊心を持って学業に臨むことができました。

また、借金という形であろうが、支援してくれた親には感謝しかありません。

私の親は、積極的に奨励をしてくれたわけではありませんが、一度も私の留学の夢を否定しませんでした。少なくても、私が自分で勝手に夢を膨らませることに水を差すことはありませんでした。

そして、両親はなんだかんだ最後は借金で私の夢を支えてくれました。同時に、関家の掟も例外なく守らせ、親の信念も貫きました。おそらく、私に貸してくれたお金は、親が子に与えてくれる優しさと厳しさの狭間のちょうど良い落としどころだったように思えます。

私は海外ガイダンスなどで保護者に話をする際、このエピソードを出して話します。

親が子供の夢の支援をするということは、お金は出すことではありません。その夢を肯定してあげ、一緒に育ててあげることです。形はそれぞれの家庭によって違いますし、できる範囲で構いません。ぜひ、どういう形でもいいから、子供の夢と可能性を摘まずに支えてあげてほしいですね。

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