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憂鬱な初学期とその正体

1歩前のスタート

さて、いよいよ大学院の生活が始まるわけですが、ここではずいぶん生意気なことを書くので、嫌な感じをさせてしまうかもしれませんが、大学院生活の自分の心情においてここは外せない部分なので、ご容赦ください。

実は、私は同期よりも一歩進んだ位置からのスタートでした。

大学院にはPrerequisiteという科目が設定されています。前提条件科目とでも言いましょうか、本科プログラムに進む前にとらなくてはいけないプログラム、ということです。

これらは卒業に必要な30単位として認められません。当然授業料は発生します。

特に学部時代と異なる専攻に進め、専門科目の入学試験もないアメリカの大学院にあって、正規のプログラムに進むまえに専門の基礎科目を最低限履修している必要があるのです。

サンフランシスコ州立大学(SFSU)
TESOLでは、第二言語習得理論や生成文法、心理言語学、社会言語学、文学などがそれに設定されていました。

多くの留学生仲間がそれなりのPrerequisiteを課される中で、私はICUで言語教育、言語学を専門にしていたので、ほぼこのPrerequisiteがなかったのです。

ICUで卒業直前まで授業をガンガンとっていましたが、実はこの大学院のPrerequisiteを減らすためでもありました。ICUでの学費は何単位取っても変わらないので、なるべくそこで単位を取り、留学時の授業料や留学期間を減らすために頑張っていたのです。

私がSFSU合格時に取るように指定されたPrerequisiteは社会言語学、言語心理学、音声学と意味論の4つでしたが、意味論以外はそれに重なる科目を履修済みだったので、入学後コーディネーターのところに交渉に行き、1つにしてもらうことができました。

言語心理学、社会言語学の交渉は多少難色を示されましたが、こちらにとっては無駄な授業を取らなきゃいけないわけで粘り強く交渉しました。ICU時代の教科書を持っていき、多少のはったりもかましながら、必要ないと説得しました。

他にも免除された授業があります。

SFSUではノンネイティブは英語の習得度やTOEFLの成績などに関わらずライティングテストを受け、それに不合格なら、アカデミックライティングの授業を取らないといけないということがありました。

このテストはとても難しく、留学生で合格するのが1割程度というように言われていました。私はこのテストをパスしました。これは素直に自慢です。

アジアの留学生の中でパスしたのは数人だけだったはずです。ICUで、卒論をはじめ、授業の論文は多くを英語で書いていたので、アカデミックライティングはお手の物でした(実際リーディングより、ライティングの方が自信がありました)。

そういうこともあり、私は同期の新入生がPrerequisiteやライティングの授業を取っている中で、1科目以外はいきなり大学院の正規プログラムを開始した珍しい新入生だったのです。

同期とすれ互いの生活

そこで変なことが1つ起きました。

私だけ同期とほとんど顔を合わさない生活になってきたのです。

授業が違うからということもありますが、私が取っていた授業と新入生が取っている授業は時間帯が全然違ったのです。

極端な例で言うと、みんなが朝から始まり3時ぐらいで終わると対照的に、私は夕方の授業が多くあったのです。みんなが授業を終え、バス停に向かうと同時に私が学校に来て、挨拶だけかわしてすれ違っていくということが起きてしまったのです。

その分、上の学年の生徒とは縁も広がりましたが、結構1人でストイックな生活を送っていました。同期のみんなが集まる中で、言葉を交わしたことのない人が半分いたりして、その輪の中からは離れた位置にいました。

憂鬱とその正体

そして、本当に偉そうで申し訳ないのですが、学部時代にどっぷりその分野を勉強していたこともあり、土台が1人だけ違っていました。不愉快な言い方ですみません。

授業も最初は正直簡単で物足りないものでした。大学院で使う教科書を見て「まじかよ」と思ったこともありました。ICU2年生や3年生の概論で使っていた教科書だったのです。

新しい勉強ももちろんたくさんあるのですが、大学で学んだことのリピートになる授業も多くありました。なかなか周りとのディスカッションも噛み合わず、自分でメモに書いて考える、ということもあったり、もやもやした気分でした。

友人とも顔を合わさない生活が続き、授業も物足りなさを感じる中で、「自分は何をしに来たんだろう」という思いが出てきた時期がありました。憂鬱という言葉が一番合うでしょうか。

割と早くからその憂鬱を感じていたと思いますが、10月の風景の中でそんなことを思っていたのはなんとなく覚えています。

親に600万以上借金して、アメリカまで来た、すでに知っていることを授業で聞いている意味はなんだろう、あと2年間俺は何をここで得て帰れるのか、やはりハワイ大学に行けてればよかった、と。

さて、今振り返ってはっきり言いましょう。ただの格好つけです。「自分はできる」「もう知っていること教えるなよ」と言いながら、いきっていたのです。

何かしらケチを付けなきゃいけない面倒くさい性格なのです。

「レベルが低い」と言いながら、自分を周りより上の位置に置いて、憂鬱を感じていることで「俺はすごい」と自己肯定してただけなんだと思います。憂鬱を感じている自分に寄っているというか。。。(今でも変わってないじゃん、って、みんなに笑われそうですが)

こんな感じで最初の学期がは過ぎました。

もちろんその後、周りの人にも恵まれ、生活も勉強も楽しくなってきて、充実した大学院生活へと変わっていきましたよ。

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