正月を終えると1月中旬から2学期が始まりますが、その2学期目からTAという仕事が始まりました。
Teaching Assistant、略してTA。いわゆる授業の助手ですね。
私の大学San Francisco State Universityには多くの留学生、英語を母語としない生徒がいますが、彼らが取るESLと言われるアカデミックイングリッシュの授業を私たTESOL(英語教授法)の大学院生がTAとしてサポートしに行くのです。
普通TAと言えば、お金をもらって授業の助手や生徒の指導を行うのもので、大学院生としては一般的なアルバイトでもあります。しかも、前のページで述べましたが、アメリカは留学生のキャンバス外のアルバイトを禁止しています。大学院生にとってはTAもしくはRA(Research Assistant)は重要な資金源でもあるのです。
しかし、私たちのTAは違うのです。無給です、無給。
じゃあ、ボランティアか。いや、そうでもない。
実はこれを3学期間することがTESOL専攻の修了要件なのです。要は、むしろ大学院のプログラムの一環として義務付けられているのです。
最初の2学期間は学内のESLで、最後の1学期間は外部(主にCommunity College)で教育実習という名のもとTAをします。私みたいに2年で卒業していく人間にとっては卒業までずっとTAをやることになるんですね。
ここがSFSUのTESOLが実践的教育プログラムとして世界で評価されているところの1つで、1年半ずっと英語教育の現場に入って研究、そして実際に指導に当たるわけで、今思ってもいい勉強でした。
これで手当てが出れば現場を勉強させてもらい、さらにお金も出るということでうれしい限りなのですが、そんなおいしい話はありません。WikipediaでTAと調べても「手当てが出る」って書いてあるのに。。。
これはある意味大学のうまい戦略だと思いましたね。TAをプログラムに入れることで授業のアシスタントを無料で確保しているだけじゃないか、とも思いましたね。まあ、かなり楽しかったんですけどね。
私がTAとして一番最初に受け持ったクラスは私の敬愛する恩師Thomas Scovel教授の授業です。
彼は私の大学院の研究で一番お世話になった人なので、次のページでまた書きたいと思いますが、応用言語学の世界では相当なビッグネームで、かなりすごい教授なのです。
そんな大物が1つだけESLの授業を持っていたんですね。普通のESLの授業ですよ。講師でもできるような。
生徒たちは自分たちが習っているのがそんなすごい人だとはつゆ知らず、ただのおじいちゃんぐらいにしか思っていないところがまたすごい。私のように彼の論文を読み、授業を受けたいと思っている生徒は世界中にいるのに、彼らは何もわからないままScovelの授業を普通に受けちゃっているわけです。
野球を教えてくれている近所のおじいちゃんが実は重鎮の長嶋茂雄だった、みたいなね。うん、私たちの分野で言えばそれに近い感覚かな。
私が入ったその授業はグラマーの授業でした。文法教科書でルールを確認したり、問題を解いてみたり、文を書いたりといった感じで結構オーソドックスな文法授業です。
生徒は留学生だけでなく、移民やヒスパニックの生徒も多くいました。日本人も3人か4人いたかな。当たり前ですが、国籍はバラエティに富んでいます。
私たちの仕事は、授業を一緒に受けて、分からない生徒のサポートに回ったり、宿題を添削したり、個別指導することで、教授が不在の際に数回か実際に授業を教えるということもありました。
私ともう一人日本人の女性でそのクラスのTAをやっていたのですが、私たちはクラスのHPを立ち上げて、宿題の指示をしたり、掲示板で生徒と質問のやり取りをしたりもして、当時はずいぶん画期的といわれるTAの仕事をしていました。
その時のHPのタイトルが教授の名前を取って「Scovel Avenue」だったと記憶していますが、私が教員になって担任した高2−2組というクラスの学級通信のタイトルは「H2-2 Avenue」。。。そのまま名前持ってきました。
このTAというのは面白いんですが、なかなか難しいところもあるのですね。TESOL学生の半分ぐらいは留学生です。日本からも多くの生徒が来ていましたが、大学院生とは言え、ぺらぺらに英語が話せるわけではありません。
いや、特に日本人は、正直、英語を教えるにはまだまだ語学的に厳しい人のほうが多かったと思います。
そうすると英語のチューターなので、やはり英語ができないと生徒から頼ってもらえないし、ただのお手伝いぐらいにしか思ってもらえないということがあります。生徒からしてみれば、アメリカまで来て、なんで不自由な英語を話すノンネイティブに偉そうに教えられないといけないんだ、ということですよね。
そういう意味では、このTAはノンネイティブが英語教師になるときの洗礼みたいなものだったのかもしれません。
1人は日本の高校から語学学校かコミカレを通して入学してきた女の子でした。とても良い子で、毎週コーヒー飲みながら平和なチュータリングでした。
ちなみに英語のチューターなので日本人相手でも全て英語で指導します(彼女相手にはたまに日本語で捕捉もしましたが)。そういう関係なので道ですれ違っても彼女とは英語で話していました。
もう1人は韓国人の学部生でしたが、兵役を終えてからの大学進学だったので年齢は私とほとんど同じだったかな。
彼とはこれがきっかけで結構仲良くなり、チュータリング終わった後もたまに会うことがありました。私が『Friends』というアメリカドラマを好きになったのは彼が「面白いから」と言ってDVDを貸してくれたのがきっかけです。
彼の兵役の話で、「訓練で銃をもって移動するとき、うったばかりの銃が首にあたって熱いんだ!」ということがずいぶん印象に残っています。単純に「へえ」と思ったのと、隣国の同世代だと思っていたのに、ずいぶん違う体験をしているもんだ、と。
この2名は本人たちがチューターをしてほしいと希望してきたわけで、前向きな生徒で、サポートのしがいもありますし、仲良くチューターしていました。
そして3人目は。。。いや、彼は大物なので、つづきは次のページで。