TAのチュータリング、問題はもう1人の生徒です。ここではアルファという仮名にしておきます。
予告しておきますが、彼はちょー強烈です。強烈すぎて、私の友人の間では「The 彼」という呼び名で伝わっていたぐらいです。インパクトという意味では彼に勝る生徒はいません。ぜひ最後まで読んでくださいね。
彼はサンディエゴ(カリフォルニア南部のメキシコ国境にほど近い都市)出身で、ヒスパニックで、18か19歳ぐらいの男子です。
まずは見た目が強烈。
スキンヘッドに口ひげ伸ばして、耳にピアス。帽子を斜めにかぶり、だぶだぶのアメフトのユニフォームTシャツに、ネックレスじゃらじゃら。いつもラッパーなのかアメフトの応援なのかといった感じです。
挨拶もラッパーみたいに「ヨー」みたいな感じで、機嫌がいいときはDJみたいなグータッチからもろもろ続くやつです。
まあ、見た目はどうでもよくて、特にアメリカだと見た目を気にできないほどいろんな人がいるのですが、そうはいっても人間には第一印象という心理現象もあるのは事実です。初めて見たら「やばいやつ」と感じるのも人間の防衛本能です。それが授業の真ん中にいるので、そりゃ目立ちますよね。
目立ったのは見た目だけではありません。まずは英語ができない。ラップ口調(?)のようなスペイン語なまりの英語で、口頭でのコミュニケーションは一応とれます。怪しいところがありましたが、会話は半分勢いで突き通せます。
しかし、書かせてみると結構めちゃくちゃ。アルファベットも母語の影響か不思議なものがあって、「私は」の「I」が小文字で、かつ上部の点が小さい丸になっているんですね。
そして授業中の態度や取り組みもよくない。授業中も適当。
宿題の出し方なんかめちゃくちゃです。教科書の1ページが宿題として出たのですが、教科書を全部集めると重くなってしまうので、ノートやルーズリーフもしくはその部分をコピーして提出するということにしていました。
アルファは違います。教科書にちゃっちゃっとやって、そのページをビリッと破って提出してきたのです。しかも破り方がちょー雑。切れ目の失敗したトイレットペーパーみたいな紙を平気で出してくるのです。
教員をしているといろいろな生徒がいて、日本にも雑な生徒はいますが、まあ世界は広い。彼は本当に規格外。
一度、彼の態度を私が注意して、授業前の宿題を受け取らなかったことがあります。そこから1時間ずっと彼は不機嫌で、授業中に私をにらんでくる。
私も若くて血の気も多少あったので、負けてられないと睨み返していました。町の中だったら怖くて目を合わせないけど、授業中は責任感となめられてたまるかという自尊心でなんとかなるんです。
ちなみにESLでは、移民をはじめ「自分は英語はできる」と思って、英語の授業を軽視している生徒もいます。
その中で本当にできる場合が3分の1、「できる」と過信しているだけの場合が3分の2ぐらいの気がします。アルファの場合は完全に後者です。
多分彼の場合はもともとの学業の素地を身につけないまま大学に入ってきてしまったというのが正直なところです。そういう生徒も入ってくるというところにアメリカ公立大学のレベル幅を感じました。
授業が始まって数週間たち、Scovel教授からアルファのチュータリングをしてほしいと私に直々に依頼がありました。彼だけは私じゃないと扱えない、と。まあ、そうだろうなと思いつつ、気が重いのは否定できません。
さて、彼とチュータリングをすることになって、まず1回目。
アルファは40分以上遅刻してやってきました。持ち時間は1時間だったのでほとんど何もできません。英語の宿題の確認すらできなかったように思いますが、最初だからコミュニケーションをとることを優先して、15分ぐらい雑談して終わりました。
2回目はすっぽかされました。「忘れていた」ということです。
そして、3回目もすっぽかされました。彼の言い分は「俺は時間通りに行ったのに、そちらがいなかったじゃないか」とのこと。まさかの言いがかり。
いやいやいや、バカ言うでない。そう言ってくるかと思い、私はちゃんと時間前に行っていて、ちゃんと来ないことを確認していたんです。
自信をもって対応すると、向こうは逆ギレ。「俺より英語できないあんたになんで教えてもらわないといけないんだ」と。
さすがにカチンときましたね。確かに私はノンネイティブだけど、自分で言いますが、私はかなり英語ができるほうで、誰が判断しても彼にそう言われる英語力ではありませんでした。言い返しましたよ。どう言い返したかは覚えていないけど。こちらもプライドがあったし。
彼とのチュータリングで人生で一番インパクトのある強烈な英文に出会いました。
現在完了をやっているときのことです。第3者と自分を比較対照して「自分は〜したことがあるけど、○○は〜したことがない」みたいな文を何パターンか書くという簡単な宿題が出ました。
そこで彼が書いてきた例文。何て書いてあったと思いますか。度肝抜かれますよ。
「My uncle has shot people, but I haven’t.」
英語教師人生で一番衝撃の受けた文です。しかも大学の授業の宿題ですよ、みなさん。その英文が目に入ってきて、私はどれだけ衝撃を受けたことか。。。
他にもそんなような内容の文が並んでいました。忘れようがありません。
彼は結構な人生経験をしていました。
実は、彼は片膝が不自由でした。体を左右に揺らしながら引きずって歩くような感じです。はっきりと言われたわけではないし、勘違いの可能性もあるのですが、彼と話しているうちにそういう人生経験のもとでそういう膝になったのだとなんとなく感じることがありました。
そんな彼がある日、何かの宿題と関連して、家族の写真が入ったフォトブックと封筒を持ってきました。
彼はそれを私に見せながら自分の家族についてとろけそうな屈託のない笑顔で話をするのです。
彼は7人兄弟の長男でした。フォトブックには2歳だか3歳だか、幼児といえる年齢の兄弟も映っていました。アルファがその子たちと幸せそうに移っています。
封筒には手紙と女性の写真が入っていました。彼の母が刑務所から送ってきた手紙だったのです。
彼の口から躊躇なく母の話が語られます。
「俺の母は麻薬を売っていて、刑務所に入っているんだ。でも、自分で使ったことは一度もない。家族を支えるために、その仕事をやっていたんだ。俺は母親を誇りに思っている。その母から手紙が来て、どんなに自分たちを愛しているのかを伝えてくれたんだ。俺も妹や弟を愛しているし、守っていかなきゃいけないんだ。」
本当にこんなにうれしそうに、そして熱く話す彼は見たことありませんでした。
どうしようもない生徒だと思っていたけど(実際どうしようもない生徒だったけど)、一方でいろいろ境遇にいつつも、前向きに頑張っていたんですね。
そして、アメリカっていう国は、格差だけが話題になるけど、実はこんな生徒でも大学に受け入れ、人生のステップアップのチャンスを与えるんだな、と思いました。
彼とのチュータリングはその後も変わらぬ調子で、3回のうち1回は来ない、1回は遅刻、1回はなんとか授業ができる、、、みたいな感じでしたが、辛抱強くちゃんと半年やりましたよ。
少しは距離も近づいていきましたが、かと言って分かり合えるわけではなく、、、まあ、でもどうしようもない生徒だったけど、悪い奴じゃなかったな。
とにかく強烈なインパクトだけは残していきました。