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大学院アカデミック生活 その1

実践重視のプログラム

ここまでルームメイトやTAやいろいろな話をしてきましたが、「ちゃんと勉強もしていましたよ」という意味も込めて、そろそろ本業の「学業」の話をここでしたいと思います。

私の通っていたサンフランシスコ州立大学(SFSU)の大学院は実践を重んじる修士課程ですので、フィールドワークや実践に基づいた研究のプログラムが充実していました。

TESOLでは世界的に著名な教授がそろっていて、特に実践に重きを置いたTESOLという意味では、最も評価されているプログラムと言えるかもしれません、、、と思ったのが志望理由です

そのため、修士だからといって研究一本で進んでいったり、修士論文に時間をかけるということはなく、授業は講義やセミナー形式で進んでいくことがメインでした。

ハワイ大学のようなところで研究をバリバリすることを第1希望としていた自分にとっては、もう研究に注力したいという思いもあって、そこが自分の中で折り合いつくのに時間がかかったところでもありましたが。

修士論文もオプションで希望者だけが書くもので、ほとんどの生徒が修士論文を執筆せずに過程を修了します。これは後程書きますが、私も修士論文を企画していたのですが、諸々の事情で断念して、修士論文なしで修了しました。

授業

アメリカでは学生ビザの留学生に対して最低履修単位数が決められています。

学部課程は各学期12単位以上、修士課程は9単位です(最終学期だけ申請によりそれ以下の履修が許可されます)。

私はPrerequisiteと呼ばれる前提条件科目が1つだけしか(音声学と形態論)課されていませんでしたので、それ以外は卒業単位のみの最短、最小の履修で終わらせました。

アメリカは1単位ごとに学費が決まっているので、節約のために最小限に抑えたのです。もちろん、これ以外にもTAをやっていたり、自分なりに研究を深めたりしていました。

どんな授業を取っていたかなー、と思って自分の履修を振り返ってみたら、週3コース(9授業分)しかとっていなかったんですね。もっと取っていた気がしますが。

ICUの時は4年間ほぼ毎学期1618単位ぐらい取っていたので、それから考えるとずいぶん余裕のある授業枠ですね。


形式は授業の種類によって異なりますが、だいたいどの授業でも基本的にまず多量のリーディングが求められます。

そしてそれに付随した講義と課題があり、さらに1つの授業につき23かいの論文やプロジェクトが課されます。実践重視のプログラムと言うこともあり、プロジェクトでは、レッスンプランを作ったり、それをもとに模擬授業をするということもありました。

1回の論文は研究ベースのものだと大体2030ページぐらいでしょうか。カリキュラム作成のプロジェクトでは1年分のカリキュラムを作成するため、添付資料も含めると8090ページぐらい書いたと思います。

ICUでの学業が大変で、鍛えられていた自信もありましたし、授業の数も最低限で抑えていたので量も中身も特に問題なくついていけました。

あとは、このHPもそうですが、一度はまると、それを突き詰めたり、たくさん書いたりすることは苦にならないというのもあるでしょうね。

アカデミック生活の根底は学術論文

私のアカデミック生活について真っ先に思い出すこととして、毎日の「論文読み」です。

本もそうですが、学術雑誌などに寄稿されている研究論文がメインです。

相当ストイックに論文を読みました。目標は13本、合計100ページ以上です。論文作成時には200ページを超える日もありました。読まない日もありましたけどね。

本来「読む」という活動は苦手なのですが、なぜか言語教育の論文だけはあまり苦になりませんでした。それでもじっとしているのが苦手なので、机、ソファー、ベッドの上と場所を変えながらも頑張って毎日のように読みました。

どうやって読むのか。飛ばし読みなのですが、超ハイレベルな読み方です。

斜め読みとよく言いますが、イメージとしてはジグザグ読みという感じでしょうか。全体を斜めに読みながら、視線は常にジグザグに動かして、単語を読みながら意味を組み立てて理解していくという感じです。

すごく集中力を要するので、ずっとはできないのですが、飛ばしてもいいかな、というところはそうやってすっ飛ばしていました。同じ分野の学術論文になると書いてあることが重なっていたり、前提知識で予想できるということもあったと思います。

今は絶対できません。あの時の英語力と論文に対する慣れとどん欲さ、集中力があってできたのです。

同時に、重要な部分にはハイライトをし、時にコメントや疑問を書きながら読んでいきます。一時期は、読んだ論文のリストを作り、重要な論文のサマリーと分析や意見をまとめていたぐらいで、論文を読むことが自分のアカデミック生活の大きな根幹となっていました。

そんなことをしていたので、学術雑誌や本をバンバンコピーして、家に持って帰っていたのですが、コピー代はすさまじかったのを覚えています。

自分の学生証がコピーカードにもなっており、そこにお金をチャージして使うようになっていました。

せっかくの留学なので論文だけはケチらないで読もうと思っていたので、選別しながらも躊躇せずにガンガン使いました。

料金は110セントで、1回につき大体20ドルをチャージするのですが1日持たないときもたまにありました。1100ページが目標ですから、1日で10ドルかかる算段ですね。月に100ドルなんてものじゃすまなかったはずです。

論文探しのやり方は単純です。

まず主要な学術雑誌を当たっていき、タイトルなどで興味があるものを片っ端からコピーし読みました。また、ICU時代に読んだものから派生させていくことも多くありました。そして、1つ論文を読見終えると、その引用文献の中からまた興味があるものをピックアップして読んでいくという流れです。

1つ大切にしていたのは、ファーストハンドソースをしっかり読むというものです。つまり、理論や実験など、関心があるものはその元の論文を自分の目で読み、確認するということです。

これは今でもそうですが、やはりファーストハンドソースを読むとずいぶん最初とニュアンスが違ったりして、クリティカルリーディングとしてとても重要かつ有効でした。

捨てられない論文たち

2年間の留学を終えた後、全ての論文や教科書、ノートをそのまま段ボール何箱にも詰めて日本に送りました。

それらの資料は自分の研究の証ですし、いつかはもう一度研究をしたいという気持ちもあり、なかなか捨てられませんでした。

一人暮らしを始めたとき、結婚して引っ越したときに、ずいぶん処理をしましたが、それでも主要なものは手元に残していたぐらいです。

そして、1年前、やっと処分をしました。その時に名残惜しくて記念に写真を撮りました。



これで最初の時の5分の1かそれ以下だと思います。

この時も特に自分のコメントが入った論文や思い入れのあるものは「捨てられない」と思い、せめてスキャナーですべて残しておこうと思ったんですね。

でも、すでに10年以上前のもの。仮にもう1回研究に戻るとしても、最新のものも含めてゼロから勉強しないといけないから、と思って、思い切って捨てちゃいました。まだ大学院時代のノートは捨てられていませんけど。

でも、よく考えてみれば、もっとも大事な自分の論文やプロジェクトは紙ベースでしか残っていないんですよね。まだPCが広く普及している時代ではなかったので、ICU初期は父のワープロ使って論文書いていて、ICU後期から大学院時代、いや教員時代の初期までずっとフロッピーディスクだったんですね。

PC買い替えたりしているうちに保存していたはずが、なくなっていたりして、今や手元に何も残っていません。あんなに大切にしていたのに。

大学院時代のペーパー版は大部分残っているので、スキャナーでデータバックアップを取っておこうかな。

つづく。

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