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恩師 Dr. Scovel

SFSUのビッグ4

私の所属していたサンフランシスコ州立大学のTESOLプログラムには「ビッグ4」と呼ばれる世界的に著名な教授が4名いました。

ICU時代にも彼らの本を授業の教科書として読んだり、論文の参考文献として使っていたりしており、SFSUを選んだのは彼らが理由だったわけです。

大学の教授と言えば「偉そう」「近寄りがたい」「風変り」といったイメージがあるかもしれません。

確かにSFSUの教授も、大学院に入るまでは論文や本でしか知りませんでしたし、著名な教授となると顔も知る前なのに「近寄りがたい」というイメージもありました。

でも、SFSUのTEOSLはアットホーム。これはみんな感じることだと思います。そして、ビッグ4はみんな60オーバー。その時点で、20代の私には親以上。どちらかと言えばおじいちゃん、おばあちゃん??

理系の教授だとまさに研究者といった感じの人もいるのかもしれませんが、言語教育の研究者はそもそもコミュニケーションや教育の中に自分の研究があるわけで社交的でコミュニケーション好きという人が多いのかもしれませんね。

Dr. Scovel

中でも私が最も敬愛する恩師がDr.Scovel、スコーバル教授です。先のページで書いた通り、彼のESLクラスのティーチングアシスタントをしていました。私が大学院に行ったときにすでに65に迫るぐらいの年齢でした。

彼は言語心理学の重鎮で、全米の応用言語学学会の代表を務めたこともあるぐらいアカデミックな面でもすごい人物です。もちろん研究者として教授としても惹かれましたが、しかし、実は彼の人生と人柄も魅力的で面白いのです。

彼はもともと中国生まれです。中国人ではなく、見た目もアメリカ人です。

ここからの話は私も記憶があいまいなので正しくない部分もあるかもしれませんが、彼のお父さんがアメリカ軍の医師か何かで中国に駐在していたときに生まれたと言っていました。なので、彼は中国語が一定程度できますし、オフィスには中国の習字の掛け軸が飾ってあります。

そして、もっと記憶があいまいなのですが、捕虜キャンプかなにかにいたこともあると言っていたと思います。それだけでも独特の経歴です。その後も、インドで過ごすなどして、若いころからアメリカ国外で育っていた人物で、幼少期のことも良く話していましたね。

またもう1つの話として、彼には娘と息子がいるのですが、時々オフィスに遊びに来ていました。「65歳の子供だから40歳ぐらい?そんな人たちが職場に遊びに来るの?わーお、アメリカってすごい!」って思うでしょ?違うんですね。

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人の子供は当時まだ就学前、3歳とか5歳とかそんな年齢です。

え?スコーバル、若い奥さんと結婚して年老いてから子供を授かったのか?、、、それも違います。実は色々な事情があって自分の孫を養子として受け入れているんですね。私も彼のティーチングアシスタントを務めていた時期があるので、何度かこの子供たちと会って、遊んだこともありました。

他にもいろいろあって、ずいぶん独特な人生経験を重ねているんだけど、スコーバル教授はもう「仙人」と呼ばれるほど、人生を達観していて、普通だったら「大変」と思うような人生をエンジョイしているのが本当に魅力的でした。

大したことないけど彼との会話で印象に残っていることがあります。彼のオフィスで課題か論文の相談をしていたのですが、「もう少し時間があれば・・・」と述べる私に対して「時間が十分にあるときなんて一度も来ないよ」と言われた時です。「時間が十分ないのは当たり前、その中で何ができるのか」ということですね。


そんなこんなで「Koheiと言えばDr. Scovel」とみんなが言うほど、私は彼を慕いまくっていました。

プログラム後半になると指導教授が割り当てられるのですが、もちろん私の希望はDr. Scovel。そして割り当てる係の教授も「はいはい、KoheiはDr. Scovelだよね」と何も聞かれず、一瞬で決まるわけです。

本当に彼は私の大学院生活の恩師で、彼との出会いがなかったらあの2年間はなかったと言って全く過言ではありません。

世界のDr. Scovelに認められたい、彼に特別と思われたいという欲というか思いも正直かなり強く、勝手に彼との関係性にスペシャル感を持っていました。

勝手に「自分はDr. Scovelの秘蔵っ子」って思っていたかったんでしょうね。彼の中では特別ではなかったと思いますが、彼を慕った2年間は私には特別なものでした。

彼は私が卒業を控えたころ、「コウヘイはドクター(博士号)に進むべきだ、もっと上を目指すべきだ、私が推薦状を書いてあげるよ」と言ってくれました。本当に嬉しい言葉でした。認めてもらっているんだ!!って。今でも嬉しい。

お金の事情などもあってその時は諦めましたが、本当は行きたかった。でも、いつかもし行くなら彼に推薦状を書いてもらいたい。その時まで、しっかりと縁を大切にしなければ、そう思って卒業を迎えました。

今や彼は80歳を超えているはず。卒業後、連絡しようと思いつつ、全然連絡できていなくて今日に至ります。まだご存命だとは思います。時が過ぎても、連絡を取っていなくても、もう推薦状を書いてもらえなくても、いまだに彼を慕ってやみません。

なお、ここでの彼の個人エピソードは全て彼がいろいろなところで話しているものなので、差し障りないところで紹介させていただきました。悪しからず。




(卒業パーティにて。実は彼と撮った写真はこれを含めて2つだけしかありません)

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