大学院という狭い世界に身を置いていたので、周囲の友人も多くは大学院の仲間&そこから派生するわずかな友人関係でした。
私の所属していたサンフランシスコ州立大学のTESOL(英語教授法)専攻は、留学生を中心に多くの学生が在籍していました。
いわゆる同期と呼べる人たちが30〜40人いて、そのうち日本人は10人程度で一番のマジョリティです。他にも韓国、台湾、タイ、ヨーロッパあたりから学生が来ていて、留学生の方がアメリカ人よりも多かったような学部です。
特に日本人の留学生とは2年間いろいろな場面で支え合い、ある意味「同じ釜の飯を食べた仲」のような感じで、良くも悪くもつながりが強くなっていきます。
その中で、私のサンフランシスコの友人関係を一部ですが紹介しながら、どんな生活をしていたのかイメージしてもらいましょう。
最初に出会った日本人留学生はミオという女の子でした。
8月最初のオリエンテーションで知り合って、最初から最後まで濃い〜関係でした。「孝平ちゃん」と呼んでくるのは、うちの妹かこのミオしかいません。
誰からみてもおそらく「かわいい」子でしたが、中身を知っている私には、実際は「愛嬌のある面白いおっさん」みたいな人間です。
TESOLの中でも、大学卒業後すぐに大学院に来たのは私とミオを含めた3人だけで、数少ない同じ年でした。勉強を一緒にすることも多くありましたし、プライベートでもしょっちゅうつるんでしました。
ミオの親がアメリカに来たときにも仲良くし、日本に帰った地にもミオ両親宅に泊めてもらったぐらいです。
ここまで言うと「彼女か?」と聞きたいところかと思いますが、ありえません。恋心も恋愛関係もゼロ%です。あえて言うなら、同い年の妹みたいな感じです。
このミオを起点に、同じ日本人の仲間との縁が広がりました。うちにもみんなで遊びに来たこともあれば、誰かの家でバーベキューしたり(このバーベキューはかなり楽しい思い出として残っています)。
ミオとは帰国後もメールなどで連絡は取っていたのですが、会う機会はずっとありませんでした。
そして、いつしかメールの連絡も途絶え、記憶の中の人物に変わってきたのですが、、、なんと14年たって彼女と急に出くわしました。
ある日、前任校で同僚から「ミオさん、知ってる?」と言われたのです。
彼女は卒業後、日本の教育コンサル系の会社で働いているのですが、その同僚と仕事でつながっていたのです。「今度打ち合わせで来るって」。。。
ミオという名前を聞いた瞬間、いやな汗がどばーっと出ました。いやいや、あかん、あかんやろ。散々迷惑もかけたし、こちらもかけられましたし、サンフランシスコ時代のアレやコレもお互い全部知っているし。
私と彼女は北朝鮮とアメリカが核でけん制しあっていたように「お互い爆弾を持っていてけん制している戦略的互恵関係」みたいなものです。職場で会ってはいけない。。。
そんな心持ちで迎えた打合せの日、、、そうはいっても、あいさつ程度の短い時間でしたがお互いテンション高い再会でした。
それから数か月、新しい勤務校に移りました。ミオに異動したことは伝えていませんでしたが、、、新しい職場で同僚から「ミオさん、知っているの?」と。
数日後、彼女は、また私の職場に現れました。最近は仕事も絡めてたまーに連絡とっています。
(ある会議にて、右がミオ)
(大学院仲間と我が家で飲み会。床でね。)
もう一人、出会いの情景まで覚えている人がいるのがマト君です。
TESOLの新入生歓迎会の際、一人の日本人男性がチラシを配っていました。そして、同じ日本人同士なのに、英語で「音声教育の勉強会に参加しませんか」と話しかけてきました。
挨拶や自己紹介もままならない中で、いきなり勉強会の誘いを受けたのです。私は少し驚いて、「まだどれだけ忙しくなるか分からないから…」と彼の誘いを冷ややかに断ってしまいました。
これがマト君という人との出会いです。
最初がそんな感じだったので、「堅い」というのが彼の第一印象でした。正直、近寄りがたい感じも多少あり、最初の半年はほとんど関わることがありませんでした。
そんな彼と近くなったのにはきっかけがあります。私が仲良くしていた友人がマト夫婦とテニス仲間で、その友人に誘われたのです。マト君は大学時代にテニスのインストラクターのアルバイトをしていたぐらいの腕前で、ド素人の私はバリバリの堅物文系だと思っていた相手に握り方から教えてもらいました。
ここから、このマト君は奥様も含めて、私の留学生活のとても大切な友人&兄、姉的な存在になっていくのです。
勉強の話もくだらない話もいろいろしたし、いろいろお世話してもらったし、極めつけは二人のワイナリー巡りに一緒に連れていてもらったり、、、なんじゃ、そりゃ、って感じですよね。
でも、それぐらいマト君にはお世話になりました。
マト君夫婦とは卒業後日本で1回だけ会ったきりですが、今でも年賀状でやり取りしています。
彼は今、愛知県で教員をしていますが、うちの家では「そうだ、愛知県に行こう」と何度も言っています。マト君も息子さんが生まれたし、うちの娘も含めて次は家族ぐるみでお世話になりたいです。
(マト君夫婦とワイナリーへ)
最初の半年はルクセンブルク人のオリという友人と遊びに出ることがよくありました。
ルクセンブルク人の知り合いは初めてです。どこか分かりますか。ドイツとフランスに挟まれた小さな国です。
彼とは大学のオリエンテーションが始まった初日に出会い、一緒にベイクルーズに行ったりして仲良くなりました。彼は半年だけの留学生であり、一方私は授業が同期とずれていました。なかなか交流の幅が広がらない二人が補完しあっているようなもので、彼とは月2回ぐらい一緒に出かけていました。
彼がうちに来たときにガーリックとトマトのパスタを作ってくれたのですが、これまで食べたパスタの中で一番おいしかったんじゃないかと思うぐらい美味しかった。ヨーロッパ人、すげーって思いました。
帰国するまでの間は一番一緒にいた相手かもしれません。
ちなみに、この年、サンフランシスコのNFL(アメフト)チーム、San Francisco 49ersがスーパーボールという頂上決戦に向けてプレーオフに進出したのですが、彼を家に誘って家で見ました。
二人でワールドカップみたいにして盛り上がる予定だったのですが、サッカー好きのヨーロッパ人にはプレーごとに止まるアメフトは楽しくなかったようで、「理解できない」とかケチ付けながら見るので、私が機嫌悪くなり、気まずくなり、最後にはオリが申し訳なさそうに「帰ってほしい?」と言ってきたことがありました。
こういうエピソードこそ懐かしさが沸いてきます。
(ベイクルーズ、一番左がオリ)
2年目に一緒につるんでいたのは年齢も雰囲気もみんなバラバラのこの3人です。
私が当時22歳、アミーラが30才(唯一の女子)、ブライアンがアラフォー、ベンは50を超えるおじさん(元看護士)です。
どう考えても一緒にいるのがおかしい属性の4人で、日本であれば出会ってすらないような4人ですが、それらがつるんで遊んだり、卒業後には一緒にラスベガス旅行に行くぐらいだから、アメリカは面白いですよね。
(ベンとアミーラ。写真を撮っているのがブライアンだな。)